1973-06-27 第71回国会 衆議院 文教委員会 第25号
ただ、その二ページあとでございますが、そこでそのいわゆる荒木大臣の使用した拒否権ということばについての説明がございまして「大学なるがゆえに管理機関の申し出に基づかなければならない、そうでないならば行政長官たる文部大臣が申し出と別個の者を任免することは断じて許さない、あくまでも管理機関の申し出に基づく者でなければならぬ、そうして国民的立場において万に一つもノーと言わねばならないケースがあった場合にはノー
ただ、その二ページあとでございますが、そこでそのいわゆる荒木大臣の使用した拒否権ということばについての説明がございまして「大学なるがゆえに管理機関の申し出に基づかなければならない、そうでないならば行政長官たる文部大臣が申し出と別個の者を任免することは断じて許さない、あくまでも管理機関の申し出に基づく者でなければならぬ、そうして国民的立場において万に一つもノーと言わねばならないケースがあった場合にはノー
この考え方は表現において若干のそごはあったかもしれませんけれども、荒木大臣以来政府がとっている一貫した見解でございまして、先日奥野文部大臣が答弁をいたしましたのも同じ趣旨であったかと思います。
○吉國政府委員 先ほど申し上げましたように、荒木文部大臣以後につきましてはその表現においてややそごする点はあったかと思いますけれども、最終的な見解といたしましては、荒木大臣、坂田大臣、奥野大臣との間にそごするところはなくて、先ほど私が法制局の見解として申し上げたところと実質的には同じ見解を答弁において述べたものと思います。
○奥野国務大臣 いま三十八年の荒木大臣の答弁をここで見ているところでございます。違法の場合の拒否などを頭に置いて、そちらを強く出すものだから、山中さんとの間に受け取り方に若干違いがあるのではないか、こう考えるわけであります。
○塩出啓典君 これは行政管理庁長官が今回の行政管理委員会にも毎回出席をされて、前回の荒木大臣のときにはあまり出席されなかった。そういうのに比べれば長官が努力されていることは認めるわけでございますが、しかし、行政監理委員会のもう一つは専属の人が非常に少ない、私の調べるところでは一人しかいないわけですね。
私どもとしまして、学校に事務職員が必要でないということは考えたことがないと申しますか、前に、私、荒木大臣がやはり参議院の委員会で事務職員要求問題についていろいろ御答弁をいたしまして、具体的な計画をおすすめして、それが基礎になって五ヵ年計画が推進されるという事情がございました。その際以来、事務職員と養護教諭が学校に必要なんだということは繰り返して私は申してまいったような記憶がございます。
○説明員(岩間英太郎君) これも先ほど鈴木先生から御指摘ございましたとおりでございまして、私どもとしましては、前に荒木大臣の当時、事務職員、養護教諭の五千人増員計画というものを立てましたときから、この問題には真剣に取り組んでまいったつもりでございます。
そういう意味において、この際、こういう法律の担当者である荒木大臣からひとつ閣内でも少しこの問題を取り上げて真剣にやってもらいたいと私は思うのです。ほかのことと違いますよ、これは。ほかのことは、物価が上がるとかなんとかいったって、すぐ人の命をとっちゃいませんからね。物価がどんなに上がったって、人の命を直接とっているわけじゃない。しかし、これは直接みな死んでいる。
○沢田実君 時間をいただきまして、荒木大臣に一問だけお尋ねをしたいと思うんですが、先日この交通安全対策特別委員会で大臣の所信表明に対する質問をいたしました。
私どもの地元、荒木大臣の地元でも、久大線、鹿児島本線に最近たくさん無人駅ができました。たとえば幹線は国鉄でやって、地方線は地域にまかすにいたしましても、人がおらなければ運転できないのです、営業できないのです、鉄道は。電話も電気も中央から末端まで開通しております。どこをぶった切ってもそれはもうその独自の営業しかできないでしょう。
○田中(武)委員 総理、お聞きのように荒木大臣は、はっきりと、法律事項を政令事項にしたいと、こう言っておるのですよ。いま私は、財政投融資から入りましていろんなことを例にあげました。これすべてが、国会をじゃま者と考え、なるべくああいう口やかましい連中にはものを言わさない、干渉させない、おれの思うようにやるのだ、そういう風潮のあらわれだと思います。
○国務大臣(山中貞則君) 私は給与担当大臣として人員整理ということばもちょっと妥当ではないと思いますが、再来年以降も三年間一定率以内のいわゆる欠員不補充等を内容として、実質首切りの生じない範囲内における削減計画を立てたということについては、これは給与担当大臣の立てたことではございませんで、いわゆる行政管理庁長官たる荒木大臣のお立てになりました案が、それが閣議決定になったということでございます。
そのほかいろんな問題についてお聞きしたいことがございますし、また要望したいこともございますが、一応時間もございますので、最後に、荒木大臣に御質問申し上げますが、先ほどからいろいろお話ししておりますように、このたびの改正案は規制ということが中心になっておりまして、どうしても抜本的ではない。
○永岡光治君 通産省の答弁の前に、いまの道路局長の答弁の中でございますが、道路拡充整備計画を進める上について、公安関係のほうではなかなか予算が取りにくいので、建設省の予算の中ならばかなり融通がつくのではなかろうかというおそらく希望が私はあるやに聞いておりますので、おそらく荒木大臣も何かそういう話をしたとかしないとかいう話も私聞いておるものだから、それならば一緒に考えてあげたらどうだろうかと、こういう
これは御承知のように、地方自治体あるいは警察等でこれは負担するところでありまして、これについて安全施設に対する予算上の配慮がぜひ必要である、ということを荒木大臣は発言したのでございます。
文部大臣として大学問題にも詳しいあなたが治安を担当されて、国民の信頼深い荒木大臣も、今度の赤軍派の奇想天外な「よど号」乗っ取りでは「抜かった」と述懐されておりますが、赤軍派にのさばられる原因はどこにあるのですか。大菩薩峠なら中里介山の机竜之介と思っていたら、あそこで赤軍派が検挙されて以来、手抜かりなく警戒していたと思うのですが、事前に彼らの企図を察知することはできませんでしたか。
荒木大臣これはどうでしょうか、ちょっとお考えをお伺いしたい。
それから、行管――荒木長官はいないけれども、いままでの論理の帰結によって、行管はむだな調査をするはずはないのだから、現に一年ごとに切りかえてこうしなさいと指示をしたことはわかったんだから、今度は法務省についてはがっちり定員を伸ばすように、荒木大臣と小林大臣で折衝をはかれ、このことを確認する。 それから、管理官は頭がよ過ぎて、もう少しはっきりした答弁をお願いしたいと思うんだ。
そこで、このことはひとつ荒木大臣にもおっしゃっていただくと同時に、ひとつ小林大臣には重ねて要望します。これ、やってほしいと思うんです、何にもやらないったって時間が過ぎっちまうようなこともある。それでおれ大臣やったなんて自慢しないで、このことを実行してから自慢してください。重ねてこれ答弁求めます。
行管、いまの大臣のことばをしっかり肝に銘じて、心臓の強い荒木大臣に言ってください、いいですか。それで、荒木大臣と小林大臣と二人でお答えになったら、これはできるからね、必ず。緩急自在というのはそういうことを言うんですよ。緩急というのはそういうことを言うんですよ。重点というのはそういうことを言うんですよ。私は法務委員会に所属して十年になるけれども、出ないことないですよ、臨時職員の問題。
そこで今年度の予算で十兆三千五百億にのぼる道路の新五カ年計画が設定されたことに伴い、閣議等においても国家公安委員長たる荒木大臣より問題点の提議等がございまして、私の陸上交通対策本部がこれをあずかりまして、ことしの予算は先ほど申しました後期三カ年計画の二年度の予算にすでに入っておりますので、来年度三カ年計画を終わった後に着手をするか、もしくは三カ年計画の三年目を、来年度を、四十六年度予算でありますが、
この問題について、この問題を一体御承知かどうかということも含めて、ひとつ公安の責任者としての荒木大臣、あるいは法務大臣の御見解を、短くてけっこうでございます。一言ずつ、ひとつお答えをいただきたい。
これも所管は警察庁の荒木大臣のほうでありますけれども、ことしは実は過去三年、そしてことしが二年目に当たる緊急三カ年計画の後期の二年度にあたっております。 そこで警察庁の問題提起のしかたも予算編成にたいへんおくれた問題提起をしたものでありますから、私の手元で各省関係者に集まってもらいまして、その閣議の明くる日にはすぐに会議を開きました。
荒木大臣とは、予算委員会、内閣委員会でずいぶんやっておりますから、あなたの政治理念は大体私わかっているつもりですから、答弁は大体私も想像できますが、やはり委員会ですから一応伺っておきたいと思います。 私は大体警察行政を三つに区分していつも研究し、考えておるんですが、刑事警察、警備警察、交通警察ということで実は考えておるわけです。
○岡沢委員 荒木大臣は国家公安委員長としてはきわめて明快な御答弁をなさるわけですが、行管庁長官としてはへ理屈としか思えない御答弁ではないか。行政改革がむずかしいことは先ほど指摘いたしました。しかし、この委員会が勇を鼓して、しかもいわばていさいもかまわずに意見書を出した。この予算委員会に間に合わしたいというお気持ちだったと思います。行政の膨張にたまりかねた意見書だと私は見るべきだと思うのです。